2010年11月30日火曜日

心をコントロールする

自分の心を自分でコントロールする意味合いが少し見えた様に思います。心身統一体の稽古で師範に「何を考えてするのですか?」と質問するとよく「何も考えていないよ」と返事が返ってきます。
この何も考えていない状態を意識して続けることの難しさを感じていました。心というものは何かを見るとすぐさま反応して色々想像や妄想を始めます。心を静め続けて静謐を保つことを心をコントロールすることだと理解できていても実践が簡単ではありません。今日の朝の散歩(稽古)の中でその実践の糸口が感じられたように思います。

2010年11月19日金曜日

HPの写真変更

HPの写真を分杭峠から白山中居神社に変更しました。白山中居神社の神気はとても迫力があります。伊勢白山道のブログで知っていってきました。三度目の参拝です。とても天気が良くて紅葉もきれいで更に偶然にも宮司さんと話が出来ました。宮司さんが言われるには「何度この神社に来てもその都度感じが違います」との言葉でした。そこに居るだけで心が落ち着き「心身統一体」になっているのを感じます。心が内に入るでもなく、また心が飛び歩いているでもなく、ただ鎮まり神気を感じることに心が向いている状態でしょうか、そのような状態になります。とても素晴らしい氣に触れてきました。また是非行きたいです。

2010年10月27日水曜日

2010年ワールドキャンプ

10数年ぶりにワールドキャンプに参加しました。各国から合氣道を通して氣の原理を学ぼうとする人達の集まりです。私も氣の原理の体得レベルを再認識できました。楽しんできました。日頃行っている稽古で出来ているものが外国の人達に通用するかが一つの目的でしたが、まったく問題なく通用したことで確認できました。今回の参加目的の一つは達成できました。

2010年10月10日日曜日

心しずまった時

「心しずまった時、霊性心が照照呼として発露するのである」と教わっています。 つまりは心を静めることがポイントであると。 その心を静める場所は臍下の一点であると

2010年10月3日日曜日

霊性心=内在神=セルフ2

自信とは天地に通じる自分自身を信じることと教わっています。天地と一体となった自分自身は霊性心の現われで、つまり内在神の現われでもあると思います。その内在神を信じること、傷つけないことがとても大事と伊勢ー白山道は言っています。
 迷ったとき自分自身に問いかけて返事をもらうようにしています。自分との対話が確実に出来るようになると、常に相談できる相手が自分の中にいることになります。それこそが内在神とともにあると思います。、・・・を問いかけて答えがもらえることは・・・その境地を実践できていると言うことになります。
 まずは自分自身への問いかけが大事かと思います。

2010年9月22日水曜日

「新インナーゲーム」という本

友達から紹介された「新インナーゲーム」という本を読んでいますが、その中に著者のいうセルフ2が霊性心のことではないかと思います。 自我と(真我)良心との狭間で葛藤するのが人間の苦しみですが、中村天風さんが自我は自分の身体を守るための神経系の生活機能機関が脳髄にあって、そこからの指令が自我となって現われること(これがセルフ1)で、本当の自分とは正義の実行を行う本心良心が霊魂(本当の自分)の氣の働き現象である(これがセルフ2)。本心良心はいかなる時代が来ても宇宙の本源そのもののあり方は真善美という心(霊性心)の積極的に働きかける姿勢は変わらないと言われています。セルフ2に自分を任せようと本(新インナーゲーム)にあります。
真我の方向性真善美の方向で思い出されるのが、飛騨心理学研究所の精神の方向性真善美勤の話です。

2010年8月23日月曜日

霊性心

霊性心=内在神と認識しています。分りやすい言葉では良心と言えます。昔映画で座頭市がお天道様が見ていらっしゃると決まり文句を言う場面がありましたが、このお天道様ともいえます。
良心に恥じない行為が自分の霊性心と繋がる方法のようです。心=自我がその前に立ちふさがり欲のバリアが張られて時々霊性心(良心)が隠れてしまいます。
 自我の波を無限に静める修行が統一道の修行です。そうすると心の中に鏡が現われすべてをありのままに写してくれると教わっています。その稽古の一つに統一体かどうかをお互いに当てっこする方法があります。最近はまっています。
 

2010年8月16日月曜日

終戦記念日

昨日テレビ番組では終戦記念日の特集を組んで色々な放送がされていました。この年になって始めて終戦記念式典等や報道番組を戦争で亡くなられた人々を思いながら真剣に見ていました。自分の中の何が変化したのだろうと思います。今生かされていることに感謝せざるを得ない気持ちでいっぱいです。

2010年7月23日金曜日

心とは一体何か?

心が不安になり、落ち着かなくなり、続くと病気になります。「心が身体を動かす」ことを心身統一合氣道会で教わっています。その心とは一体何か?
中村天風さんの本に記載されています。身体を守るために設備された機関であると
では心と自分は別物なのか?→別物であると
この説明に大きく納得がいきました。とともにとても驚きと新鮮さを感じています。
心が自分の身体(命)を守るために装備された機関である。その心が拡大解釈をしてありもしないことを描いて不安を更に増幅している。心は自分というものが道具としてうまく使いこなしてこそ本来の人間の持つ能力を遺憾なく発揮できるのである。心が身体を動かすわけで、心を使いこなすことは身体も必然的に使いこなすことになる。

2010年6月13日日曜日

心が不安になる4

今の現状に不満をいだいているか満足していない状態からのスタートだと常に心が不安になると言えます。この世に生きている。ことがありがたいという思いからスタートするとすべてのことはありがたく思えてくる。心には不安はなく常に感謝の状態であると。
春日大社の葉室宮司さんは、先祖に感謝し、神に感謝する生活が日本人の特徴であり、誇りであるといわれています。何事にも感謝する生活の中には不安が起こりようがないと思えます。

2010年6月3日木曜日

心が不安になる3

心が不安になるのは自分のことばかり考えている。すなわち他人からの評価を気にしているか自分の利益ばかり気にしている。・・・なんだか今の日本のほとんどの企業がこの状態ではないでしょうか?
だからほとんどの企業のトップは不安が消えないでしょう。個人にしてもそのような考えに凝り固まるとうつ病になる可能性が高くなります。
一方他人のために頑張っている人は心の不安がないでしょう。元氣で活き活きしている様子が感じられます。
 

2010年5月22日土曜日

心が不安になると2

ある時心が不安になる原因が分りました。他人の目を気にし過ぎていたことです。見られている自分がどうかと言う他人の自分に対する評価ばかり気にしていることです。
氣を引く・・・自分のことが中心 自我 自分が認められたい
氣を出す・・・他人のことが中心  他人を認める
心身統一合氣道的に言うと氣を引いていました。

2010年5月18日火曜日

心が不安になると

心が不安になると身体が動き難くなります。恐怖を感じると身体が固まります。身体が固まると血流が悪くなり続くと病気になります。心身症など・・・心が不安に感じて沈み込むことを防ぐために心身を統一する技術を身につけようと思っていた頃があります。

2010年4月24日土曜日

心を静める5

「心こそ心まどわす心なり、心に心こころゆるすな!」と言われる藤平先生の言葉が身にしみて、感じられる今日この頃です。師範からは自分の氣が上がっているかどうか常に分らなくては生けないといわれています。その感覚が歩くことで見えてきました。

2010年4月8日木曜日

心を静める4

心を静めようと思えば思うほど心が波立つと教わっています。確かに心で落ち着こうと思えば思うほど落ち着かなくなる経験をしたことが良くあります。それではどうするかそのままにしておくと自然に収まりますが、もっと効果的な方法は自分が今落ち着いていないと思っている心の波を半分に意識します。次にその半分更に半分・・・と追いかけていきます。そのままの状態を保つと波が静まります。
ポイントは波が静まったそのままの状態を保つこと、これには稽古が必要になります。

2010年4月1日木曜日

心を静めるその3

心身統一合氣道の創始者藤平光一氏の誦句集に「人間は本来落ち着いているのが当たり前である。この理を悟ってこそ心の落ち着きを得るのである」とあります。その「本来落ち着いているのが当たり前である」という言葉が、朝歩いているときに浮かんできました。
 落ち着きは作るのではなく、本来それが自然な姿だよということが、感覚的に分ったような氣がしています。 会社勤めの中ではおそらく氣付きが来なかったように思います。自由時間の余裕が大きな要因のようなに感じています。

2010年3月31日水曜日

心を静めるその2

去年会社を定年を待たずに辞めました。半年間は父の看病などで忙しい日々を送っていましたが、後の半年は時間にゆとりが出来て身の回りの物事に氣を向けることが出来るようになりました。これからの経済的な基盤をどうするか?という課題はありますが、朝外を歩いてみようと思い立ち歩き始めました。それまで室内で体操や呼吸法は毎日行っていましたが、外を歩き始めたことでとても大きな収穫がありました。それは自分の心の動きが感じ取れるようになったことです。
それはやっと本来の自分に戻る時間が作れたことのように思います。

2010年3月28日日曜日

心を静める

毎朝歩きながら心を静める稽古をしていますが、心があちこち波立つのを感じるようになりました。今まではそれさえもあまり感じませんでしたが、やっと感じることが出来る状態になったことを喜んでいます。

2010年2月14日日曜日

氣を出す3

話が横道にそれました。氣を出すには外側に心を向ける必要があります。
外側とは自分の身体のことは考えない。外の動きに心を向けること、つまり自己防衛の心を働かせないこと、プラスの心でいることでしょう。
自分の損得に心が向くと自己防衛に心が向きます。 
自分の損得とは何でしょう? 今の状況からのプラスマイナス意識のこと。
本来生きていることに感謝できる状況にあれば損得意識は出てこない。
生きているだけでもうけもの、この感謝の想いがプラス発想のもとにあると思います。

プラス発想こそ「氣を出す」元になります。更にその先はプラス発想もなく、天地自然と一体の境地こそ「氣が出ている」状態です。

2010年2月11日木曜日

氣を出す2(続き) 

氣が弱い性格とは氣を自分の外側に向けずに常に内側に向けることが多い人のことを指します。
内側に向けることを氣を引くと言います。

 氣の弱い性格は変わらないのでしょうか? 性格は変わらないと言われる人が多いですが、心身統一合氣道会では性格は生活習慣を変えると変わると教えています。

2010年2月9日火曜日

氣を出す。

「氣を出す」と言うことについて考えてみましょう。
氣が出ている状態とはそのものに勢いを感じます。それは人の態度であったり、言葉であったり、書であったり、絵画であったり、構造物であったりします。
勢いは生命力の大きさとも言えます。 
人によって勢いの差があるということは生命力に差があることです。
生命力の差はどこから来るのでしょう。 身体の大きさの違いでしょうか?それとも健康度合いの違いでしょうか?
身体が大きくてとても健康な人は生命力は大きいと言えそうです。
しかしそのような恵まれた人でも氣が弱い性格ではどうでしょうか?